近交弱勢とは
近交弱勢(きんこうじゃくせい)とは、遺伝的に近い個体同士を交配する近親交配によって、生じた子孫の生存、生育、収量、稔性、繁殖能力などが低下する現象です。英語では「inbreeding depression」といいます。
植物では、同じ個体の配偶子同士による自殖や、兄弟・親子関係など遺伝的に近い個体同士の交配によって起こる場合があります。
近親交配によってホモ接合性が高まると、それまでヘテロ接合状態では影響が現れにくかった潜性の有害対立遺伝子がホモ接合となり、生育や繁殖に不利な形質として現れやすくなります。
近交弱勢は「遺伝的多様性が低下すること」そのものではありません。
近親交配によってホモ接合性が高まり、その結果として生存、生育、収量、稔性などの適応度に関係する能力が低下する現象を近交弱勢と呼びます。
近交弱勢が起こる主な仕組み
生物の集団には、生存や生育、繁殖に不利な作用を持つ潜性の有害対立遺伝子が存在する場合があります。
例えば、ある遺伝子座に通常型の対立遺伝子Aと、潜性の有害対立遺伝子aがあるとします。
- AA:有害な作用が現れない。
- Aa:有害対立遺伝子aを持っていても、その影響が表現型に現れにくい場合がある。
- aa:潜性の有害作用が表現型に現れる場合がある。
血縁関係の近い個体は、共通の祖先から同じ対立遺伝子を受け継いでいる可能性が高いため、近親交配を行うと同じ由来の対立遺伝子が組み合わされる確率が高まります。
その結果、潜性の有害対立遺伝子がホモ接合となり、生育不良、稔性低下、収量低下、生存率低下などとして現れることがあります。
「近親交配によって有害遺伝子が新たに作られる」「有害遺伝子が必ず増える」という意味ではありません。
近親交配によって、それまで集団内に潜在していた有害な遺伝的作用が表現されやすくなることが重要です。
遺伝的多様性の低下と近交弱勢の違い
近交弱勢と遺伝的多様性の低下は関連しますが、同じ現象ではありません。
小さな集団で血縁個体同士の交配が繰り返されると、ヘテロ接合性の低下や遺伝的多様性の減少が進むことがあります。そのような集団では近親交配が起こる可能性も高くなります。
一方、近交弱勢とは、その近親交配によって実際に生存、生育、繁殖などの能力が低下することを指します。
| 用語 | 意味 |
|---|---|
| 遺伝的多様性の低下 | 集団内に存在する遺伝的な違いが少なくなること。 |
| 近親交配 | 血縁関係や遺伝的類縁関係の近い個体同士が交配すること。 |
| 近交弱勢 | 近親交配の結果、生じた子孫の生存、生育、繁殖能力などが低下すること。 |
自殖による近交弱勢と二親性近交弱勢
植物の近交弱勢は、自殖だけで起こるわけではありません。
自殖による近交弱勢
同じ植物個体から生じた雄性配偶子と雌性配偶子が受精する自殖は、強い近親交配に相当します。
自殖によって生じる弱勢は、植物育種では自殖弱勢と呼ばれることがあります。
二親性近交弱勢
自殖ではなく、遺伝的に近い別個体同士の交配によって起こる近交弱勢を「二親性近交弱勢」と呼びます。
国立環境研究所が熱帯樹木 Shorea laxa の自然集団を調査した研究では、種子親と花粉親の近縁度が高くなるほど種子サイズが小さくなることが確認され、二親性近交弱勢が示されています。
このため、「別の株から花粉を受粉すれば近交弱勢にならない」とは限りません。別個体であっても、遺伝的に近い個体同士なら近親交配になる可能性があります。
近交弱勢によって低下する形質
近交弱勢がどの形質に現れるかは、植物種、品種、系統、世代、栽培環境によって異なります。
影響が現れる可能性がある形質には、次のようなものがあります。
- 発芽率
- 実生の生存率
- 草丈や樹勢
- 乾物生産量
- 開花能力
- 花粉稔性
- 種子形成能力
- 果実重
- 収量
- 結実までに要する期間
すべての形質が同時に低下するとは限りません。近交弱勢は形質ごとに評価する必要があります。
農業でみられる近交弱勢の例
カキ
カキは、近交弱勢が品種改良上の問題となっている代表的な果樹の一つです。
農研機構と龍谷大学が完全甘ガキの育種集団を調査した研究では、交配親の近交度が高くなるほど、交雑実生の果実重、収量、樹勢が低下し、結実開始も遅れることが確認されています。
完全甘ガキでは、優良な完全甘ガキ品種同士を長期間交配に利用してきた結果、育種集団内の類縁関係が近くなり、近交弱勢による収量性低下が問題となっています。
このため、農研機構ではDNAマーカーを用いて交配親の近交度を推定し、近親交配を避けながら品種改良を行う方法が研究されています。

図について:
この図は、カキを例に、近親交配によって近交度が高まった場合に、果実重、収量、樹勢などが低下する傾向を模式的に示したものです。
農研機構の研究では、カキの育種集団において近交度が高いほど、果実重や収量、樹勢が低下し、結実開始が遅れる傾向が確認されています。
図は近交弱勢の仕組みを理解しやすくするために農材ドットコムが作成したイメージであり、特定の品種や個体で必ず同じ程度の低下が起こることを示すものではありません。
ニホンナシ
ニホンナシでも、少数の優良品種を繰り返し交配親として利用してきたことで、育成品種同士の類縁関係が近くなっています。
農研機構では、DNAマーカーを利用して品種間の近縁度や近交度を推定し、近交弱勢を避けるために遺伝的に離れた品種や遺伝資源を交配親として利用する研究が行われています。
カキ・ナシ・クリなどの果樹
果樹では、一つの品種を長期間栄養繁殖して利用できる一方、品種改良では限られた優良品種が繰り返し交配親として使われることがあります。
その結果、育種集団全体の類縁関係が近くなり、次の交配で近交弱勢が問題になる場合があります。
農研機構ではクリについても、DNA解析によって品種間の類縁関係を把握し、遺伝的に離れた品種を交配に利用することが品種育成の効率化につながるとしています。
タマネギ
タマネギは他殖性の作物ですが、自殖も可能であり、強い近交弱勢を生じることがあります。
F1品種の親系統を育成するには遺伝的固定を進める必要がありますが、自殖や近親交配を繰り返すことで生育や採種能力が低下する可能性があります。このため、近交弱勢を考慮した育種工程の設計が必要になります。
近交弱勢と自殖弱勢の違い
自殖弱勢は、近交弱勢より対象を限定した言葉です。
| 用語 | 意味 |
|---|---|
| 近交弱勢 | 自殖を含む近親交配によって、子孫の生存、生育、繁殖能力などが低下する現象。 |
| 自殖弱勢 | 特に自殖によって生じた後代で、生育、収量、稔性、採種能力などが低下する現象。 |
したがって、自殖弱勢は近交弱勢に含まれる現象として捉えることができます。
近交弱勢と雑種強勢の関係
雑種強勢とは、遺伝的に異なる親を交配した雑種が、ある形質について親より旺盛な生育や高い能力を示す現象です。
近交弱勢ではホモ接合性が高まることで潜性の有害な作用が現れやすくなるのに対し、遺伝的に異なる系統を交配すると、それぞれの親から異なる対立遺伝子を受け継ぎ、有害な潜性形質の発現が抑えられる場合があります。
このような遺伝的効果は雑種強勢の一因と考えられています。
ただし、近交弱勢と雑種強勢を完全な表裏関係として説明することはできません。雑種強勢には優性効果だけでなく、超優性や遺伝子間相互作用など複数の要因が関係すると考えられています。
近交弱勢を避けるための育種上の考え方
農作物の品種改良では、単純に「最も優秀な品種同士を交配すればよい」とは限りません。
優良形質を持つ品種でも、互いの類縁関係が近ければ、後代で近交弱勢が問題になる場合があります。
そのため育種では、次のような情報を利用して交配親を選びます。
- 品種の家系図
- 過去の交配履歴
- 近縁係数・近交係数
- DNAマーカーによる遺伝的類縁関係
- ゲノム情報から推定した近交度
- 実際の交雑後代の生育・収量・稔性
カキやニホンナシなどでは、DNAマーカーを利用して遺伝的に離れた交配親を選ぶ研究が実際に行われています。
「遺伝的に遠ければ遠いほど良い」と単純に判断することもできません。
育種では、近交弱勢の回避だけでなく、品質、収量、耐病性、成熟期、地域適応性など目的とする形質を同時に考慮して交配親を選ぶ必要があります。野生種や遠縁系統を導入すれば、自動的に優良な後代が得られるわけではありません。
近交弱勢と自然集団
近交弱勢は農作物の品種改良だけでなく、野生植物の保全でも重要です。
個体数の少ない集団や、生育地が分断された集団では、交配相手が限られ、近縁個体同士が交配する可能性が高くなる場合があります。
国立環境研究所による熱帯樹木 Shorea laxa の研究では、自殖由来の実生で葉緑素を欠くアルビノ個体が高頻度で現れ、アルビノ実生の死亡率が通常の緑葉実生より大幅に高いことが確認されています。
また、同じ樹種の研究では、種子親と花粉親の近縁度が高いほど種子サイズが小さくなる二親性近交弱勢も確認されています。
このように、近交弱勢は個体だけでなく、小規模な植物集団の存続にも影響する場合があります。
近交弱勢について誤解されやすい点
- 「近交弱勢とは遺伝的多様性が減ること」:不正確です。遺伝的多様性の減少は近親交配と関連しますが、近交弱勢は近親交配の結果として生存、生育、繁殖能力などが低下する現象です。
- 「近親交配すると有害遺伝子が増える」:不正確です。近親交配によってホモ接合性が高まり、すでに存在する潜性の有害対立遺伝子の作用が現れやすくなることが主要な仕組みです。
- 「近親交配では自然淘汰が起こらなくなる」:誤りです。近親交配が自然淘汰を停止させるわけではありません。
- 「別個体同士を交配すれば近交弱勢は起こらない」:誤りです。別個体でも血縁関係が近ければ、二親性近交弱勢が起こる場合があります。
- 「近交弱勢ではすべての形質が悪くなる」:誤りです。影響の強さは形質、植物種、品種、系統によって異なります。
- 「自殖弱勢と近交弱勢は別々の無関係な現象」:誤りです。自殖は強い近親交配であり、自殖弱勢は近交弱勢に含まれる現象として捉えられます。
- 「遠縁の品種や野生種を交配すれば必ず改善する」:誤りです。遺伝的距離だけで優良性は決まりません。育種目標と各形質を評価して交配親を選ぶ必要があります。
関連する資材分類・農業用語
参考資料
- 国立環境研究所「熱帯樹木 Shorea laxa の自然集団では長距離花粉散布は種子の二親性近交弱勢の回避に有効である」
- 国立環境研究所「熱帯樹木 Shorea laxa の実生集団におけるアルビノと近交弱勢」
- 農研機構「ゲノム情報を基にカキの近親交配の程度を推定」
- 農研機構「ゲノムワイドDNAマーカーの遺伝子型情報を利用したカキの近交度推定法」
- 農研機構「SSRマーカーに基づく主要ナシ母本の近縁度および近交度の推定」
- 農研機構「タマネギの育種的特性を組み込んだシミュレーションに基づくゲノム選抜法の評価」
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